大坂なおみ選手がテニスの全米オープン決勝に進んだため、ニューヨーク生活最後の記念に観戦に行ってきました。
決勝を観終わった今、あの試合がニューヨークで観戦した試合で一番考えさせられ、また今後スポーツと向き合っていく上で、実際に見たあの光景、感じたことが必ずどこかで活きるだろうと確信しています。
今回は現在思っていることを記録するために、この記事に残させていただきたいと思います。
セレーナ・ウィリアムズ選手の存在と昨今の風潮
全米オープン女子決勝が行われてから、5日が経とうとしていますが、未だ日米、世界各地であの試合での出来事が大論争となっています。
セレーナ選手はこれまでにWTAツアーでシングルス72勝、ダブルス23勝を挙げた誰もが認めるテニスの女王であり、昨年子供を授かって母として現役で活躍している、女性アスリートのシンボル的存在です。
また、これまでテニス界に蔓延る女性差別、人種差別問題に対して自身も被害を受ける中、積極的にこの問題について発言してきました。
(参考:「男子なら世界700位」と言われ物議 それでも差別と闘うテニスの女王、セリーナ・ウィリアムズ)
そのため、女性アスリートとして活躍し、こうした差別という社会問題に対しても積極的に取り組んでいる姿に共感する他のアスリート、ファンは大変多いです。
アメリカにいて特に強く感じたのですが、近年性差別や人種差別などの様々な差別に対して、世間が非常に敏感になっています。特に私が滞在していたニューヨークという都市はリベラル思想が強いため、特に敏感になっていると感じました。
最近の「#metoo」の行動に代表されるように、だんだんと弱い立場の人間が積極的に声をあげていくようになり、世間を変えようとする動きは盛んになっています。またそうした行動を支持することにより、自分自身も世間を変えていきたい、変えていなかければならないという意思表示を行うことにつなげているような気がします。
そうした昨今の風潮も相まって、テニスを通じて様々な差別と闘っていくという強い意志を持つセレーナ選手はアメリカ国民が支持する憧れの存在となり、今回の全米オープンでも決勝まで順調に勝ち進んでおり、当然全米オープン優勝を期待する声はアメリカ国内で高まっていました。
そんな中迎えた全米オープン女子の決勝でした。
当日の会場の雰囲気
会場に入ると、完全にセレーナ選手の応援一色でした。
セレーナ選手はアメリカの選手としてアメリカで戦っているので、当然この状況は理解できますし、もし日本で試合が行われていたとすると完全に真逆の雰囲気があったと推測されます。
また試合の流れとしても大坂選手の強さに押され気味だったため、1プレーごとにセレーナ選手を励ます声が聞かれ、大坂選手は完全にアウェー状態でした。
そんな中、発せられた審判からの警告。
コーチから指導を受けたということで、セレーナ選手は主審に駆け寄ります。
主審と話している間会場はざわざわしていました。
私も最初はこのようなベテランの選手がまさかコーチからの指導は受けないだろうと思っていたので、判定に疑問を持っていました。おそらく会場にいた人もそう思っている人が大半だったと思います。
そんな中、セレーナ選手が激しく抗議。
その途端、抗議をを行っている姿に対して、会場が称賛の声を発し始めます。
前述したように女性の立場向上に向けて取り組んでいる人が声をあげているのですから、観客はそれだけで彼女を称え、声援を送ることになります。
どれほどの観客が状況を正しく理解していたでしょうか。もはやどちらが正しい主張を行っているかは、その場の状況では関係なくなっていました。かのセレーナ選手が男性の主審に抗議をしているのだから、その姿にエールを送るのです。
一方のセレーナ選手ですが、会場が完全に主審を批判し、セレーナ選手寄りの雰囲気だったため、もはや何を言っても、何をしても会場はセレーナ選手を味方します。
そのような状況の中、彼女自身もだいぶヒートアップしていました。
その後、プレーが上手くいかずラケットも1本叩き壊し、審判への激しい罵倒も続きましたが、それでもなお彼女を擁護しより一層ブーイングを繰り返す観客。
彼女を批判する声は一声も聞かれませんでした。近くで観ていた人は、もしかするとちょっとやり過ぎでは、と思っていた人もいるかもしれませんが、あの雰囲気の状態で彼女を批判することは不可能に近かったです。
そのまま大坂選手が勝利し、表彰式に流れていきましたが、時間もそれほど空いていなかったこともあり観客の審判への批判は続き、ブーイングは続きます。
一部大坂選手に対してブーイングがされたとの報道もありましたが、あのブーイングはこの雰囲気を引きずった結果起った審判、USTAに対するものでした。
大坂なおみ選手をフォローしている日本人の一人としては、この雰囲気は非常に悔しかったです。。
これがあの決勝戦、表彰式の日に起ってしまった出来事でした。
会場が作り出す雰囲気は、大変恐ろしいです。観客が多いとなおさらです。
今では、コーチは指導を認めたということで、私も審判の判断は正しかったと思っています。
しかし、当時観客は状況を正しく理解できていなかったにも関わらず、セレーナ選手の抗議の姿を見るだけでブーイングし、セレーナ選手と共に男性の主審、USTAを批判することにより、多くの観客が集まる中で自身の主張を行ってしまったのです。
この一件は、セレーナ選手の立場、昨今の風潮が生みだした歴史に残る出来事でした。
セレーナ選手はこの一件が「性差別」にあたると主張していましたが、アメリカ国民も今は冷静になり、アスリートとしての品格に欠ける行動を取ったセレーナ選手を批判する声も聞かれるようになりました。
(参考:セレーナが全米OP決勝での不正行為を否定、ペナルティーは「性差別的」と批判)
個人的には、この出来事が最近の行き過ぎた差別問題を疑問視し始めるきっかけとなるような気がします。
昨今の弱い立場の人が「声をあげる」という行動が増えてきたことは、もちろん大変いい流れだと思っており、それにより改善される点も多いと思われます。
しかし、近年はその風潮が強くなりすぎていると思う人も少なくはありません。何に関しても「差別」という言葉に敏感になり過ぎており、窮屈さを感じているアメリカ国民も多いかと思います。
日本も然りです。連日パワハラ、セクハラの報道がされ、実際に被害を受けた人が救われることは喜ばしいことですが、少しの発言でも「これを言ったらパワハラなのではないか」など考えることが多くなり、自然体で人と接することができなっている人も多いのではないでしょうか。
このようにスポーツの社会的側面が強くなっていく中、アスリートとして社会問題に取り組むことは大変いいことだと思います。しかしそれをどこまでスポーツの中で押し出していくか、非常に難しい問題です。
また今回の件のように差別問題を棚にあげて、自身の反則行為を正当化することもよくないです。実際にテニス界にはまだまだ差別が残っていると思われますが、差別とルールは別問題であり、差別を持ち出すことでスポーツのルールを無視することにはならないでほしいと思います。
アスリート自身もスポーツの社会的価値が高まる中、社会問題に対して取り組む姿をどう見せるか考えなければならない、難しい時代に突入しました。
特にマイノリティ(女性、BAME)の選手は、スポーツに携わっていく上で、そうした取り組みの象徴的存在にもなってきています。もちろん大坂選手もテニス界では恐らくマイノリティの立場となるため、アスリートとしてどのような行動を取っていくのか注目されることになるでしょう。
大坂選手はこの一件では、本当に称賛されるべき存在です。
あのような逆風の中、冷静さを保ち自身の力を最大限発揮して、セレーナ選手を圧倒している大坂選手の姿には、本当に心を打たれました。今回の全米オープンで彼女のファンが増えたことは間違いないでしょう。
今後もあの天真爛漫なキャラクターと強さで世界を代表するような選手となってほしいですし、このような経験を経て今後、彼女がどのように変化していくのか注目して観ていきたいと思います。
NYC Sports Report
2018年6月からの3か月間、ニューヨークに滞在中に訪れたスポーツイベントや施設などをお伝えいたします
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